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ボランティア体験記
「暑くて熱くて厚かったカンボジア」

広浜千絵さん (第6回SCHECカンボジア支援活動 05年3月参加)

カンボジア第2日

■突き刺す陽射しにカンボジアを実感!

 朝食はホテルのダイニングでのバイキング料理。私が選んだのはトースト、ハム、スクランブルドエッグ、パスタ、サラダ(レタス、きゅうり、パプリカ)、フルーツ(ドラゴンフルーツ、パパイヤ)、コーヒー。

 バスに乗って井戸の視察に向かう。車内で冷たいミネラルウォーターが配られた。気温はグングン上昇しており、陽射しは地面に鋭角に突き刺さるように見える。市街を走り抜けるとアンコール・ワットの姿が現れた。思い描いていたよりもずっと広大な敷地にゴツゴツした黒っぽい岩山のような建物がある。外国人観光客がたくさん歩いている。……ああ、私も外国人観光客の1人だったワ。

 舗装道路が途切れ、赤土の煙を上げながらバスは走る。ガタガタ道をどこまで行くのだろう。緑の林、薄茶色の大地、点在する小屋のような民家……。あっ、水牛!? あばら骨が浮き出ている。ミルクは出るのかしら。この土埃じゃ衣類を洗濯して干しても赤土まみれね。小さな食料品店どころか屋台も何もない。 このあたりの人々はどうやって生活しているのだろう。ブツブツ考えているうちにバスが止まった。

 車外へ出た途端、直射日光が全身を貫いた。頭にタオルを掛けて帽子をかぶり、首にもタオルを巻いて日除け代わりのストールを羽織り、手袋もはめるというUVカット重装備の出で立ちで歩きだす。地域によって異なるが、井戸は4家族で共有しているという。街道沿いには井戸がないので、畦道のような道でもないような地面を歩かねばならない。少し歩いただけで額や脇に汗がにじんできた。私は汗をかかないほうで、ふだんは水分もあまり摂らない。それなのに汗は出てくるわ、のどは乾くわ……。だいたい強い陽射しを浴びると日光湿疹が出るたちなのになんでカンボジアに来ちゃったんだろう。


■あらためて感じる水の大切さ。
 母子の「ありがとう」に胸を衝かれた。


 乾燥した大地に生えたほんの少しの草を求めて水牛がのろのろと歩いている。高い木々はほとんどなく、太陽から逃れる木陰もない。ポツンと建っている民家は粗末な藁葺きで、少しでも涼しく過ごすためと雨季に備えてか高床式にしつらえてある。井戸は昔ながらのポンプ式で、あふれる水を見た途端、ちょっとだけ暑さを忘れられた。そこへ、赤ちゃんを抱いたカンボジアの女性が現れた。小学生で言えば低学年・中学年ぐらいに見える子どもたちもはにかんだ笑顔を見せながら、おずおずと近寄ってくる。カンボジアでは井戸が増えたおかげで、幼児の死亡率が低下したという。

 富山で生まれ育った私は澄みきったおいしい水が当然の ごとく周りにあった。立山連峰の伏流水が地下水脈を成 し、豊かな水量を誇る河川が平野を流れ、あちらこちら で冷たい井戸水が湧いていた。私は東京や大阪の水道水 を飲んで初めて世の中にはまずい水もあるということを 知ったのだ。カンボジアでは水の味がどうのと言う以前 に水そのものが簡単には手に入らない。

 井戸を囲んで母 親と子どもたちが並び、撮影に応じている。言葉は何も わからないけれども、うれしそうな表情からは遠くの川 まで水を汲みに行く重労働から解放された彼女らの喜び が伝わってくる。日本人の一行に向かって「ありがとう 」の意味で両手を合わせて頭を垂れる母親と子どもたち の姿を見て胸を衝かれた。

 あちらこちらの井戸でも同様の光景が見られた。ある場所では新たな井戸掘りの真っ最中だった。大がかりな機械はなく、作業員は1人だけ。長い鉄棒の先にドリルが付いたような機械で掘っている。現地の人を作業員として雇うことで雇用創出にも一役買っているらしい。


 歩き回っている途中、カボチャが成っているのを見かけた。今、この野菜の名の語源となった国にいるんだ。長らくカンボジアに住んでいる翻訳家の友子さんがカシューナッツの実や綿のサヤも見つけては教えてくれる。

 バスで移動しては炎天下を歩いて井戸で撮影、延々とそれが繰り返される。単調な行動パターンにすぐ飽きてしまう私は、おなかがすいたのと暑さに耐えきれなくなったのもあって性格の悪さがどんどん突出して不機嫌になってきた。そのうち、気分につられてグッタリとした私はバスから出なくなり、「すいませーん、もうダメです。歩けません」と言ってNPOの方々が井戸へ行って帰ってくるのを待つようになった。すると、カンボジア人の運転手が「コイツはホントにしょーがないなー」という顔をして苦笑しながら私を指さす。私は表情と身振り手振りで「だって、この暑さじゃ死んじゃうもん!」と答えた(つもり)。私はボランティアじゃないし〜、生まれつき体力も運動能力もないし〜、おまけに胃がんで胃を切ってるし〜、こんなに暑いのは生まれて初めての経験だし〜、などと頭の中に言い訳を並べて寝たふりを決めこんだ。

 ようやくありつけたランチは、魚のスープ、青菜炒め、白身魚と野菜の炒めもの、鶏肉と春雨とナッツの炒めもの、パインアップルとバナナ、カンボジアビール「アンコール」。

 昼食後も井戸の視察が続いた。私は気分によってバスから出たり出なかったり。外へ出たときには写真を撮った。トボけた顔に見える水牛の親子、深い緑の木々、そして、こちらを真っ直ぐに見据える子どもたち……。観光地ではない所に現れた異人たちの姿はこの子どもたちの目にはどのように映るのだろうか。


■未だ多くの傷を残す戦争の記憶。

 夕食はホテルのダイニングで、国会議員の人を囲んだ。メニューはエビの炒めもの、魚のソテー、サラダ、ココナッツカレー、スイカ。その国会議員は悪名高きポル・ポト政権時代に抵抗して迫害された経験があるそうで、数年の間に100万人とも300万人とも言われる人々が虐殺された当時、いかに民衆が苦難を強いられたか、といったことを淡々と語った。彼の話し方は穏やかなだけに、なおさらリアリティがある。

 1970年代後半の話だ。昔のことではない。しかし、平和ボケにどっぷり浸かりきった私には発する言葉がない。「それは大変でしたねぇ」「ご苦労なさいましたねぇ」……そんな言葉が何の慰めになろうか。「ポル・ポトって残酷ですね。人間とは思えませんよね!」……ほかの国で、沖縄で、日本軍は何をしたのだ!?戦争を知らぬ私は、ただ目を閉じて傾聴することにした。
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