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ボランティア体験記
「カンボジアの『今』を見て思うこと」

佐藤康裕さん (第9回SCHECカンボジア支援活動 06年11月参加)

 2006年11月21〜25日に行われたSCHECのカンボジア支援活動に参加しました。SCHECとの出会いは、僕が勤めている広告制作会社がSCHECのパンフレットやWEBの制作をすることになったことに始まります。初のカンボジアということで緊張しましたが、カンボジアの「今」をこの眼で確認したいという思いが常々あったので、本当に良いチャンスをいただけたと会社には感謝しています。今回の活動内容は、SCHEC支援活動の三本柱である、井戸掘り事業、小学校校舎建設、歯科診療活動に加え、簡易水道の建設という新しいプロジェクトの視察と写真の撮影。当然、すべてが初めての経験で、支援活動を通じ念願だった生のカンボジアを体感できました。

 僕はこれまで、カンボジアというと、漠然と「貧困」というイメージがあったのですが、実際のカンボジアは、貧困の問題に加え、「格差」の問題が大きいという印象を受けました。それを端的に表しているのが都市部と農村部の対照的な姿です。

 都市部は、外国人観光客、富裕層向けのホテルと、建設中の建物(おそらくこれらもホテル)が道の両側にいくつも立ち並んでいます。一番驚いたのは、街そのものを一から興している場所まであることで、完成したら一体どれだけの人が暮らすのか想像できないほど広大な面積でした。全体的に途上国特有の熱気・バイタリティーに溢れており、きっと数年後には今の面影すら残さないほど発展・変化を遂げている姿が想像できます。

 対して農村部は、まさに大自然そのままといった感じで、見渡すかぎり緑、緑、緑の風景。道はありましたが奥地に行けば行くほどデコボコが多く、乗車していたマイクロバスがロデオさながら飛び跳ね、しっかりつかまっていないと頭を打ちつけてしまいそうになります。また井戸の視察途中には、雨季の時の豪雨で水没したままの場所にも遭遇しました。流れる時間も緩やかで、村人たちもどことなくのんびりとした印象。そんな牧歌的な農村部の姿を見ていると、きっとこの先 何十年、何百年もずっとこのまま変わらない感じがします。

 開発の進む都市部と未開発の農村部。それは必然的に開発の恩恵を受ける都市と恩恵を受けられない未開発の農村という格差を生み出します。特にライフラインやインフラ格差は顕著で、農村部では、道路や橋はもちろん、生活用水として耐えられるきれいで安全な水の出る井戸などもSCHECの寄贈したもの以外はありませんでした。最低限のライフラインやインフラが不足しているということは、普通に生活を送ることさえも困難にするので、それが確実に経済格差や健康格差、ひいては貧困という問題を大きくしているように思えます。また、それぞれの家庭や住んでいる地域によって生活の姿は様々ですから同じ農村部と一口に言っても、そこにも大きな格差があるようでした。

 そういった影響をもっとも強く受けているのは、子どもたちであるのは間違いありません。子どもは当然、大人のような独立した経済活動ができないので、生まれた場所、個々の家庭の状況がダイレクトに影響します。貧しい家庭の子どもは貧しい生活を強いられるというように。特に印象的な光景だったのは、小学校の開校式典とカンボジアの遺跡群への観光に行った時のことでした。

 小学校の開校式典に参加した際、制服を着た子どもたちとは別に、教室の外には私服の子どもたちが何だかバツが悪そうにかたまって立っているのを見かけました。たぶん家庭の手伝いなど、何らかの事情で学校に通うことができないのかもしれません。その子どもたちは、新しい学校に緊張しつつも、嬉しさをかみ殺しているような表情の制服の子どもたちとは対照的に、所在なさげに学校の隅っこにたたずんでおり、笑顔で満たされている空間の中で、そこだけは寂しい光景でした。

 また活動の合間、アンコール・トムなどの遺跡群の観光をさせてもらった際の出来事。
遺跡の見物を終え、車の置いてある駐車場まで歩いて戻る途中、絵はがきなどを観光客に売っている子どもたちに出会いました。彼らは、僕たち一行が日本人だと分かると日本語でお土産を買ってくれるよう話しかけてきました。しかも彼らの中には小学生にも満たない子どももおり、その一人は「1ドル、カウ〜」と日本語で話しかけながら 僕たちのあとをずっと駐車場までついて歩いてきました。車に乗り込み、ドアを閉めてもその子は立ち去ろうとせず、窓越しの僕に向かって、車が発車してその場を離れるまでの間、彼は「1ドル〜!!!」とずっと叫んでいました…。

 そういう光景を目の当たりにすると、非常に無力感に苛まれ、辛くもありました。しかし、一方で何かしらアクションを起こしていけば、何かを確実に変えていけることも事実です。実際、開校式典で出会った制服を着た笑顔の子どもたちも、SCHECの小学校ができるまで学校に通えなかった子たちでした。あの子どもたちの屈託のない笑顔に接していると、本当に心からもっともっと小学校を建ててあげたいと思えます。そうやって少しずつ着実に、学びたい子どもたちの受け皿となる小学校の数が増えれば、今はまだ学校に通えない子どもたちが、いつか学校に通える日をぐっと手繰り寄せることになる。そんな期待がきっと現実になると確信させてくれるような、すばらしい笑顔です。

 今回、カンボジアで笑顔の環が広がっていく姿を実際にこの眼で見る機会をいただいた訳ですが、こうして考えてみると、ボランティアというのは、笑顔の種を植え、それをみんなで育てる活動であると感じました。SCHECの植えた種が、大きく花開いて、子どもたちの笑顔になる。そんな姿をこれからも見ていきたいと思いますし、小さな種かもしれませんが、僕もその種を植えるため、またぜひとも参加したいと思います。
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