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活動レポート
第28回SCHECカンボジア支援活動報告  16年4月
 さて、4月23日から27日までカンボジア支援の活動を行ってまいりました。28回目となります。今回は参加者が8名と少なくその分小回りの利く活動ができたかと思います。エルニーニョ現象の影響でしょうか、気温は40℃近くで体感温度は優にそれを超えるという炎天下での活動でした。ベトナムでは水田の水が無くなり、ひび割れがひどいという報道を目にしたのは4月上旬のことだったかと思いますが、カンボジアも同じ地続きの国、田園のどこもかしこもいつになく干上がり、古代からきれいな水を湛えてきた西バライの貯水池もご多聞にもれずで、シェムリアップはすっかりの日照りの様相でした。雨期に入った今も雨が少なく、これからの田植え期に向かって水不足が稲作に与える影響が懸念されます。とにかく暑い中での活動でした。
 今回の活動は新しく掘った井戸40本の視察、コックトロックルー・サンキム中学校の日本語授業参観、学校の前にジャトローファ(日本名ナンヨウアブラギリ)15本の植樹、孤児・児童施設へポータブルミシンの贈呈、11月に向けての小・中学校建設予定地の視察、アンコールクッキーで有名な小島幸子さんが昨年開設した広大な果樹園の視察など、それなりに充実した活動ができたと思います。
▲新しい井戸で一家が整列してくれました
【井戸掘り活動】

 年初のうちは途方に暮れていましたが、毎回ご協力を頂いている世界地図社や情報労連大分県協議会、大宮シティロータリークラブなど、今回も皆様のご厚意で40本の井戸を掘ることができました。井戸視察の前に村人と共に行われた式典では、パートナーの国会議員、シアン・ナムさんが「西バライでは水が枯渇しているのにここに掘った井戸からは水が出る。大事に使うように」と挨拶されていました。この25日に視察した地域は1998年までポル・ポト派が支配した地域で、地雷埋設のために、バイクで半日かけないと来られなかったとのこと、今は道路も整備されて1時間半ほどで到着します。
 余談ながら、カンボジアの国会議員はフン・セン首相の厳命で、全員フェース・ブック(FB)をやっているそうです。国民の声を直接聞くようにという指示だそうですが、ナムさんのFBには10年前に井戸を掘った地域の住民から「今も大事に使っています」と感謝の言葉があったそうです。「SCHECの井戸が」と思うと、嬉しくなりました。
▲茅葺き校舎の授業風景
【小中学校視察】
 東京の「平井小学校90周年記念事業」として、島村佳孝さまから建設資金をご寄付いただきました。25日、26日の2日、小学校、中学校の2校を建設予定地として視察してきました。

*ラバック小学校
(アンコールチュム郡ノコールピア地区ラバック村)

 4つの村、合わせて約600世帯・3200名から現在468名の小学生が通っています。平均すれば各世帯3人の子供がいて、今も増え続けているとのことです。午前、午後の2部制で通っていますが、現在ある2校舎6教室ではとても間に合わず、それこそ仮設のヤシの葉で葺いただけの、雨天にはとても役に立ちそうにもない、風通しのよすぎる、いわば掘っ立て小屋で勉強する生徒もいます。9月からの新学期には卒業生を差し引いても約100名生徒が増えるとのことでした。学年ごとの生徒数を聞くと、1年生が151名なのに対して、6年生は39名と、高学年になるほど生徒数が減っています。予想通り4年生以降は家の農作業を手伝うために学校に来なくなるとのことでした。
 この校舎を視察することになったのは、実は30代の若い校長、タク・ソムナーンさんがFBで校舎の建設を広く呼びかけたことです。ナムさんがそれを見てこの日の訪問となりました。


*スレノイ中学校
(ヴァリン郡スレノイ地区ワット村)

 シェムリアップの町から北へ約65q行った国道沿いの中学校でした。5教室の校舎が2棟ありましたが、1棟は2006年竣工の校舎で、もう1棟は古く1999年にできた校舎です。 この1999年の校舎が問題で、トタン屋根は穴が開き、支柱はひび割れ、窓の木の桟はシロアリが喰った跡がありました。この校舎は傾斜地に傾斜の方向に沿って建てられたために長年のうちにひずみが出て、ひび割れが生じたとのこと。本来であれば盛土をして平行にしてから建てるべきところ、業者の手抜き工事だったとのことでした。修繕で済ますのか、新校舎を建てるのか、学校の希望は新築してほしいというものでした。
 現在の生徒数は399名(1年210名、2年125名、3年64名)で、16村・9小学校の卒業生が通います。一番遠くから通う生徒は24qも先からで、バイクで通うそうです。家の仕事の手伝いのほか、遠いために次第に生徒が来なくなるようです。
 この中学校で初めて知ったことがあります。それは入学したくてもできない待機児童の問題です。これまでの経験から、一つの中学校に通う生徒数は300名〜400名で2部制というのが標準的なところと思っていたのですが、約1000名近くの待機児童がいるはずだというのです。ナムさんの指摘で、学校側は690名の待機児童がいることを認めましたが、毎年1校当たりの卒業生が50名としても9つの小学校から450名が中学入学対象になります。それが単純に3年生までを考えると3倍にして1350名となります。実際に入学できた生徒数を差し引いたとしても、1000名近くが入学できないというわけです。
 この中学校の対象地域の人口は約2万人、4400世帯で、ナムさんは「大きい地区のわりには教育の施設が少ない。そのために勉強する機会が奪われている」と言います。学校側も親から入学願書を持ち込まれても「実際のキャパシティを考えるととても対応できるものではなく、ほとんどの願書を受け付けていない」と止むに止まれない切実な事情があります。現在機能しているのは5教室の校舎のみで、1教室が職員室、残り4教室で回しているとのことでした。因みに学校側は、将来的にこの場所に高校も作りたいという希望を持っています。現在スレノイ中学校の卒業生は30qも離れた高校に通わなければならず、ここにできれば高校へ進学する生徒も増えるとのことでした。
▲ジャトローファの苗木を植えました
【コックトロックルー・サンキム中学校の日本語授業と植樹】

 日本語の授業はもともと生徒たちの希望から始まったもので、課外授業として平日と日曜日の午前・午後に行われています。梶原理事を筆頭に大分グループのみなさんが中心になって支援されています。教師は日本語を勉強中のカンボジア人大学生で流暢に話します。訪問した24日は日曜日で、50人ほどの生徒が授業を受けていました。黒板には白墨で上手なひらがなの日本語会話が板書してあり、生徒たちは先生の指示に従って大きな声で復唱します。試しに日本語で話しかけてみましたが、恥ずかしいのか、先生の通訳の助けを借りてようやく日本語が聞かれました。先生になりたいという希望の生徒が最も多いようでした。毎年11月にこの学校の生徒を対象に歯科検診を行っていますが、問診票の名前を書く欄にカタカナで書いてくれた生徒が何名もいて歯科医師たちも喜んでいました。
 植樹したジャトローファの木はもとは南米が産地で、古くからその油や樹液を利用して薬用石鹸やランプの油、薬などに用いられてきたそうです。葉が持つ毒性から、動物の侵入を防ぐ効果もあるそうです。不毛な土地でも栽培可能で、バイオエネルギーの原料として注目されているとのこと。第2次世界大戦では日本軍がエネルギー確保のためにインドネシアや台湾に植えたそうで、日本名ナンヨウアブラギリの他、タイワンアブラギリといわれるのもそのためのようです。早ければ約1年で実をつけ、年2回収穫でき、50年間大丈夫だそうです。まずは15本の植樹から始め、その収入を中学校や地域に役立てたいということでした。
▲ポータブルミシン贈呈式の様子
▲孤児・児童養護施設に学ぶ子どもたちと記念撮影
【孤児・児童養護施設】

 今回参加した山崎理事の友人でジャーナリストの寺澤有氏の母のヒロミさんが、使わなくなった新品同様のポータブルミシンを寄贈してくださることになりました。現地のアドバイスで孤児・児童養護施設に寄贈することになりました。シェムリアップの町に近いクメール・ホルリー(英語ではHonor Village Cambodia)という施設で、イギリス人女性が理事長を務める団体です。もとは50数名の孤児を預かったところから始まったといい、今では英語の勉強に来る子供たちなど、幼稚部から高校生まで総勢416人の子供たちがこの施設で学び、元気よく遊びます。100名ほどを対象にパソコン教室もあります。日本ではYMCAを想像すればいいでしょうか。公立の小学校や中学校の午前部、午後部に合わせ、子供たちは空いた時間にこの施設にやってきます。貧困な家庭の親が子供を預けに来ることが多いそうで、仕事の間、子供たちを預かっているということでした。 カンボジアで比較的高収入を得るには外国語を身に着けることが有利です。子供のころから英語に親しむことは彼、彼女らにはとてもよいことだと思います。ホールの壁いっぱいに広がって、大勢の子供たちと記念写真を撮りましたが、山崎理事は子供たちの明るい笑顔にほだされてか、100ドルをその場で寄付していました。
【果樹園】

 あいにくマダムサチコは不在でしたが、昨年オープンした広大な土地の果樹園で、区画ごとにマンゴ栽培、バナナ栽培、野菜栽培などに分かれており、すべて有機農法の栽培です。案内の人が畑に入ってもぎ取ってくれたオクラは苦味もなく、甘くてとてもおいしい初めての経験でした。2018年にはマンゴの出荷が始まるそうです。まだ実験段階ながら、タイから取り寄せたミツバチを養蜂し、蜂蜜を採集する計画もあるとのこと。やがてはレストランもできて、リゾート地としても運営するそうです。ふと、コックトロックルー・サンキム中学校で日本語を学んだ生徒たちや英語を学んだ児童養護施設の子供たちがこの果樹園で働く姿を、炎天下の畑を歩きながら思い浮かべました。
【その他のコト】

 順調にいけば、今年9月からカンボジアの首都プノンペンまで成田から直行便が飛ぶことになりました。アンコール遺跡群のあるシェムリアップまで飛ぶのもそう遠くないことかもしれません。
 カンボジアの経済は今も毎年6%台の成長で、プノンペンは高層ビルが立ち並び、一見するとその発展ぶりは目覚ましいものがあります。
 昨年4月にはベトナムに近い国道1号線を分断していたメコン川に640mの「つばさ橋」がかかり、東のベトナムのホーチミンから西のタイのバンコクまで1本の道でつながったことで、カンボジアは「南部経済回廊」の要衝として改めて注目されています。投資を呼び、最低賃金も今年1月からは2012年に比べて倍増の140ドルとなりました。
 プノンペンの水道は北九州市の水道局の支援で「プノンペンの奇跡」といわれるまでに、ほぼ100%完備し、今またシェムリアップの町でも水道整備計画が進んでいます、カンボジアの東方の高原地帯、モンドルキリでも同様に1万世帯を対象に水道が整備されたばかりです。
 順調にカンボジアは発展しているかに見えます。しかし、ひとたび地方の片田舎に目をやれば、以前と比べて確かに豊かになり、人々が平穏のうちに暮らしているようには見えます。が、都市部に比べてその格差はますます拡がっているように思います。我々が井戸を掘っている地域にはいつになったら水道が通るのか。「まだまだ、20年経っても無理だろう」とナムさんは笑います。また今回視察したスレノイ中学校のように、学校に通わない子供たちがいても、まさか待機児童がいるとまでは想像してもみませんでした。
 SCHECの力でそれらをすべて解決できるわけではありません。しかし、援助にあずからない地域の人々はまだまだたくさんいます。マザー・テレサではないですが、少なくとも「無関心」にならないよう心掛け、少しでも役に立てることができればと思います。
 尚、11月の活動は19日から1週間を予定しています。今後ともみなさまのご協力を賜りたく、何卒よろしくお願いいたします。
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