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活動レポート
第34回SCHECカンボジア支援活動報告  19年4月
 まだ春の景色を残した4月下旬、19日~23日の日程で、SCHEC34回目となるカンボジア支援活動を無事終えてきました。NPO法人を設立して17年目の活動であるとともに、月並みに言えば、「平成最後の活動」となりました。

 今回は総勢13人の参加を得ました。梶原理事率いる大分グループの7人はみなさんリピーターの方たちばかりです。また東京からは3人の方が初参加でした。当NPO法人の活動は年齢を特に問うわけでもありませんが、今回はみなさん、20代、30代、40代と若い方たちばかりで、年齢のいった人は失礼ながら理事の梶原、山中、そして私田口の3人のみでした。SCHECの活動も歯科グループも考えると、年々若返っているようです。これも17年という実績の一つかもしれません。

【井戸掘り事業】

今回は新たに34本の寄付を頂き、為替差益で掘る「SCHEC井戸」と合わせて、計70本の井戸を視察しました。SCHEC井戸には「SPECIAL THANKS TO ALL DONATORS」という看板を付けています。20日の午後から22日までの3日間で何とか回り切りました。

昨年来、カンボジアでは雨量が少なくダムの貯水量も極端に減って、電気の供給が覚束なくなりました。そのため首都プノンペンでは停電が相次ぎ、地域を決めて、日替わりの計画停電を余儀なくされました。4月はカンボジアの気候の中で最も暑い季節ですが、今年は特に暑かったとのことで、我々が到着したその日も気温38度超え、体感温度40度以上という暑さでした。連日そうした暑さの中での活動でした。井戸を回りながら、ほんの一瞬だけでしたが、雨が降ったときは、思わず、天に向かって、感謝しました。

     
 
 20日午後からはプーム郡ドンケアウ地区ロハール村に掘った井戸を視察しました。ロハール村というのは大変懐かしい場所でした。もうずいぶん前のことになりますが、沖縄の団体の支援で地雷撤去が行われ、終了後に次は井戸掘りだということで、問い合わせを受けたことがあります。

 それで、ロハール村を視察したのですが、残念ながら100m掘っても水の出ない地域が多く、近くの湧き水から8㎞、パイプを通して供給したらどうかということになりましたが、コスト面から断念した記憶があります。水の出にくい地域ということもあるのでしょう、井戸を掘ることができた場所はそれぞれ離れていて、11本、車で移動しながらの視察となりました。まだまだ貧しさの残る地域で、徐々に豊かになっていく農村地帯でも、近年では久しぶりに貧しさを感じる村だったように思われました。村人たちや子どもたちもどこか恥ずかしがりのところがあり、懐かしく思ったものです。ほぼ枯渇した溜池や地面に掘った穴に貯めた水も黄土色にどんよりと濁り、水瓶に水はなく、不衛生極まりない環境のように思えました。そのまま飲料水として利用できるポンプ付きの井戸はとても役立っているのでしょう、先々の井戸で村人たちが両手を合わせて「オークン(ありがとう)」と言って感謝してくれました。

今回もライオン株式会社様より歯ブラシの提供を受け、井戸を回りながら、子供たちを中心に配りました。以前はボールペンや鉛筆を配っていたのですが、毎年11月にはせっかく歯科診療活動をしているのだからと、歯ブラシを配ることにしたものです。「水がきれいじゃないと歯を磨く気にもならない」という井戸視察中にさる歯科衛生士さんが漏らした言葉が、SCHECの井戸掘り事業と歯科診療活動が繋がった瞬間でした。

 
【学校建設活動】

 今回も故・渋谷寿代さんの基金で、クロライン郡サンボア地区オーマル村にオーマル・寿代・サンキム小学校を建設し、20日の午前に開校式を執り行いました。

 シェムリアップの町から国道6号線を西にタイ方面に向かって進み、さらに左に折れてトンレサップ湖方面に進んだ隣のバンテアイミアンチェイ州との州境に校舎が建ちました。SCHEC31校目の学校です。サンキムとはカンボジア語で「希望」の意味で、SCHECで建てた小中学校にはすべてサンキムの名を付しています。6号線から12㎞の距離にあり、これまでこの地域には小学校がなく、遠く7㎞も離れた、昨年4月と11月にSCHECが建設したサンボア・寿代・サンキム小学校やアンピル・寿代・サンキム小学校に通うしかありませんでした。雨季にはトンレサップ湖の水かさが増して、辺りの水田一帯は水没し、主な交通手段はモーターを取り付けた舟となります。

 オーマル村に小学校ができたことで、親たちが学校まで出迎えをする必要がなくなり、生徒たちだけで登校できるようになりました。またSCHECのパートナーであるシェムリアップ選出の国会議員、シアン・ナム氏の手掛けたオーマル村に通じる道路も完成したことでさらに便利になり、住民も増え、子供の数も増えるだろうとのことでした。

 
 校舎は水没を防ぐために厚さ1.5mのコンクリートを張り、その上に鉄筋コンクリートの5教室を建てましたが、31校目にして初めて窓ガラスとなりました。これまでは鉄格子の外に木製の扉を付けた窓でしたが、扉の代わりに窓ガラスとなっていました。なぜかは分かりませんが、近所に同様のガラス窓の建物があったことから、同じ建築業者だったのかもしれません。

 開校式の式典では、生徒たちひとり一人に文房具のセットを配るほか、教師たちが授業で使うコンパスや定規、バレーボールのボールとネット、5教室分の壁掛け時計なども寄贈します。その時計を見て思い出したことがありました。時計を寄贈するようになったのは、渋谷さんがきっかけだったことです。

 SCHEC2
校目の「クチアイ・ハナ・サンキム小学校」を寄贈してくださったときに、渋谷さんから壁掛け時計を各教室に設置するように依頼されました。「時計を見て、時間を大切にして欲しいから」とおっしゃっていました。

以来、時計は学校の開校式には定番の寄贈品となっています。

 〈私は、「教育こそが豊かな暮らし、国づくりの礎になる」と考えています。なぜかというと、字を覚え、知らないことを学ぶことは「自分で考える力」「生きる術」を養い、幸せに生きるための「大きな力」になるからです。学ぶことは「誰にも奪えない宝物」であると考えています〉

〈残念ながら、私は今日の開校式に参加できませんが、空からみなさんのことを見ていますね。おめでとう〉

 20171228日にお亡くなりになった渋谷さんの生前の言葉を今回も大分グループの高石美由紀さんに伝えていただきました。高石さんが伝える言葉をイメージして、今回初参加の舞踊家・岩瀬明日香さんが真っ赤な布一枚をまとい、炎天下の、じりじりと焼ける校庭で、裸足で踊りを披露してくださいました。この日集まった村人たちや子どもたちが真剣なまなざしでじっと見入っていました。

     

 大分グループはこれまで3校の中学校と2校の小学校を建て、中学校とは毎回訪問の度に交流を続けています。中でも、コックトロック・ルー・サンキム中学校では生徒の日本語を習いたいという希望に応え、日本語を学ぶ現地大学生が先生となって、20125月より日本語の授業を続けてきました。しかし、ここへきて、学年が上になるほど授業に出る生徒が少なくなるなど、今年の3月をもって中止のやむなきに至りました。約7年間の活動でしたが、本当にご苦労さまでした。下記は梶原理事のレポートです。

421日(日曜日)セイハ(Seyha Hean)君の結婚式に参加しました。セイハ君は6年前の4月に立命館アジア太平洋大学に留学して、4年間在籍し、卒業後は大分県のスーパーに就職して、将来カンボジアでスーパー経営のための研修を積み、晴れて2年間の研修を終え帰国、結婚することとなりました。

 カンボジアの結婚式は2日間に渡って奥様の家で行われるそうです。セイハ君の結婚式もそれに倣って奥様の実家で行われました。総勢400500人くらいの方が出席されるそうで、私たちは2日目の11時からの披露宴に参加しました。

 日本からの参加者は7名、現地在住の日本人1人とカンボジア人の案内人1人、総勢9名の出席です。大変賑やかで華やかな結婚式でした。私たち日本からの参加者も現地の人に混じって、飲んで踊って食べました。珍しい料理を食べながら新婚さんそっちのけで楽しんだ次第です。()。セイハ君ご夫妻の今後に幸多きことをお祈りします。

422日(月曜日)には中学校3校訪問交流しました。まず、コックトロック・ルー・サンキム中学校は、今年3月まで日本語教育を実施してきた学校です。諸般の事情で一旦日本語教育を中止しました。その事のお詫びをしながら、持参した文房具を渡しました。学生は、日本語で挨拶が出来、大変頼もしく感じました。

2校目は、ワット・チクレン・小夜子・サンキム中学校です。13時から交流会の予定で訪問しましたが、学生がいなくて交流がかないませんでした。時間の連絡違いが生じたのは、これまで学校は午前中4時間、午後4時間の2部制でしたが、改善されて午前中3時間で、午後は2時から3時間の授業になっていました。昼休みは11時から14時までの3時間だそうです。

3校目は、クナルトノン・豊後・サンキム中学校です。校庭に学生が集まり、日本からの参加者代表が挨拶・質問など、交流を行いました。この学校は何回訪問しても子供たちが明るいのが特徴です。

毎回子供たちの笑顔に元気をもらう事が出来る楽しみな訪問活動です〉



【今後の学校建設について】

 新たに3校の小中学校建設候補地を視察してきました。

a.サムローン小学校:アンコールトム郡リヤンダイ地区サムローン村
  幼児から小学6年まで416人(内女生徒204人)の生徒が通う小学校で、5教室と4教室の遜色ない校舎がすでにあり、1教室は図書室専用に利用していました。どちらの校舎も韓国のNGO団体が建てたものです。もう1校舎必要な理由を尋ねると、これまで1クラス45人から53人だったが、来年度が始まる10月から制度が変わり、1クラス35人になるのに伴って、教室が足りなくなるとのことでした。事情はよく分かるのですが、これまで数々の小学校を視察してきた経験からすると、緊急性に乏しく、優先順位としては後でもいいかなと思いました。因みにサムローン村の他、タプロック村、リヤンダイ村からも生徒が通っています。
b.ルバクプレイ小学校:クロライン郡ロンコ―地区ルバクプレイ村
 シェムリアップから西に約50㎞のルバクプレイ村とコックロカー村の2村から現在147名(内女子生徒79人)の生徒が通っています。2つの村の人口は合わせて約1000人余りですが、子供の数は増え続けているとのことです。現時点で、幼児30人ほどが待機となっており、毎年、20数名の生徒が入学するそうです。
現在の校舎は鉄筋コンクリートの2教室と隣接するトタン壁の間に合わせの1教室だけです。2教室の方は99年に建設されましたが、国の資金ではなく、村長が寄付を募って建設されました。新しく校舎が建つことを期待して、村の人たちが資金を出し合い、校舎の裏の土地を購入したとのことでした。新校舎ができれば、現在の校舎は幼稚園と図書室として利用するそうです。

     

c.スヌール中学校:シェムリアップから西へ57
現在、93小学校の生徒が通います(ソンケイ村、プレローミエン村、タペック村、スヌール村、タイユーン村、タサイン村、ティーエスナー村、タラーン村、サムローン村)。昨年度は147(内女子生徒87人)、今年度は184(内女子生徒111人)の生徒が在籍しています。約20%、40人ほどが待機児童とのことでした。
 当初、中学校建設の要望と思っていたところ、小学校の校舎を建設してほしいと言います。その理由を聞くと、スヌール村に中学校はあるが、小学校がないとのことでした。現在、スヌール村から2㎞、あるいは67km離れた小学校に通っているそうで、小学校が出来れば、200人の生徒が通うとのことでした。そこで、計算上、中学校へは毎年3つの小学校の卒業生が100人から150人入学することになる。3年間で少なくとも300人の中学生となるが、数が合わないことを指摘すると、別の中学校に通ったり、親の農業仕事を手伝ったり、タイへ出稼ぎに行く親について行き、向こうで芋切りの加工の仕事を手伝っているなどの理由が出てきました。中には昨年建てた、9㎞も離れたプームコムルー・寿代・サンキム中学校に通う生徒もいるそうです。そこで、仮に2階建ての新校舎を建てて、小学校には現在の中学校の校舎を当ててはどうかと提案すると、村長や校長を始め、数人いた村の関係者全員が賛同してくれました。

     
     

【今年11月の活動について】

 今年11月の活動は19日~23日と決まりました。まだその間の詳細は決まっていませんが、20日~22日の3日間は歯科診療活動を行います。

 また現在建設中のセンソック・寿代・サンキム中学校とコサムローン・寿代・中学校の2校の開校式、更に今回視察したいずれかの小中学校の開校式を予定しています。コサムローン中学校は国会議員シアン・ナム氏の故郷コンポンチャム州に建設します。その関係上、開校式には1泊で向かう予定です。

 参考までに昨年11月に視察した時のレポートを下記に示します。工事は順調に進んでいるようです。

1)センソック中学校:シェムリアップ州クロラン郡センソック地区チュローニアン村

 現在、平屋の6教室の1校舎だけです。321人(女生徒174人)が通っていますが、政府の方針として地区に1つの中学校の実現が原則で、現在16カ村、16の小学校の卒業生が通っています。当然、毎年の卒業生を受け入れるだけのキャパシティがなく、多くの生徒が待機児童となっています。

 5教室の校舎の増設で250人が通えるようになるとのことでした。地区長によれば、現在、同地区の人口は9746人、1953世帯とのことです。すでに29000㎡の土地が確保されていて、やがては高校も作りたいとのことでした。ナム氏との話では、プームコムルー中学校のように2階建ての校舎が欲しいとのことでした。

2)コサムローン中学校:コンポンチャム州コンポンチャム郡コサムローン地区プームティモイ村

 現在の生徒数238人(女生徒118人) 来年100人増の予定
 8村対象で一番遠い村は7㎞離れている。人口6750人、1548世帯

 コンポンチャム州には、きずな橋というメコン川にかかる全長1360mの大きな橋があります。日本の無償援助で2001年にできた橋で、カンボジアの重要な交通の要衝となっています。それまでは渡し船でメコン川を渡るしかなく、きずな橋ができたおかげで、物流が飛躍的によくなり、経済発展にも繋がりました。紙幣のデザインにもなっています。

実は45年前にも訪れたことがあります。その時は市内の川沿いにあるシアン・ナム氏の自宅を訪ねましたが、内戦時代の銃痕がそのままになっており、大変な経験をされたのだなと思っていました。ところが、今回の訪問で実は広大なメコン川に浮かぶ島が出生地で、10歳のときにメコン川の氾濫で家が流されたのを機に、島を出たということが分かりました。今も大変貧しい島で、ナム氏はこれまで毎年、資金援助をし、島出身の大学生50人ほどをシェムリアップの自宅の寮に住まわせ、給与も与えて面倒をみているとのことでした。毎年、7月から10月にかけて水かさが増し、島全体で水没するところが多く、ナム氏によれば半年は水に浸かっている状態だと言います。

島のランドマークでもある寺院の壁は高さ1m半ほどのところまで水に浸かったシミの跡がありました。そこから少し離れた中学校を訪ねると、木造校舎が一つ、レンガがむき出しになった校舎が一つ、そして、高床式の4教室の校舎が一つあるきりでした。木造校舎は水没の影響で使い物にならず、レンガ造りの校舎も寄付者が途中で亡くなり、そのままになっているということでした。半年は水没して用を足さないことは明らかでした。唯一、高床式の校舎だけが使用されているようですが、これも2005年に国が建設したものということ。生徒の増加に全く対応できていないとのことでした。

【その他のこと】

これまでに掘った井戸の数はこの4月で3240本となりました。みなさまのご支援の賜物と心より感謝いたします。今カンボジア近代化著しい首都プノンペンばかりではなく、シェムリアップの町でも中心部に洒落たビルが建ち、ピザや中華料理、タイスキ、和食などのレストランやアイスクリームなどのファースフードの店が入って、人々の人気スポットとなっています。地下には駐車場が完備され、土日ともなれば、若い人たちや家族連れであふれかえります。

     

 確実に豊かになっていることを実感します。しかし、一方で、農村の奥に入ると電気は不十分な上、地面に掘った穴や水瓶に貯めた水を利用していることが少なくなく、ご多分に漏れず、都市部と農村部の格差がますます拡がるかのようです。まだまだ支援が必要な所以です。今後ともみなさまのご支援、ご協力をお願いいたしたく、何卒よろしくお願い申し上げます。 <
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