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カンボジアの軌跡
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カンボジアを鮮やかに彩るクメール文化
 アンコール朝の誕生以来、カンボジアを鮮やかに彩ってきたクメール文化は、宮廷文化と民衆文化の2つに大別することができ、それぞれ代表的なものとして、アプサラダンスと織物が挙げられます。

 アプサラダンスは、9世紀ごろ神に奉げる宮廷舞踊として始まったとものとされています。アプサラとは「天女」を意味し、踊り子は神と人間をつなぐ役割を果たすものだと考えられていました。この天女アプサラをかたどったレリーフが世界遺産アンコール・ワットなどによく見られます。優雅さを称えた、流れるような踊りが特徴のアプサラダンスには4500の動きがあり、これらはナーガ(蛇神)の動きを模したものとも伝えられています。

 一方、カンボジアの織物は、農村で伝承されてきたまさに民衆文化の代表といえます。主にカンボジアの伝統色である、赤、青(藍)、黄、緑、黒の5色を基本に用いて何重にも色を染め上げたかすり柄が特に有名です。その繊細な柄の美しさから、19世紀ごろまで近隣諸国への主要な輸出品でした。用途に応じた様々な種類の織物があり、代表的なものとしてカンボジアの人たちにとって生活の必需品である万能布のクロマー、サンポット・ホールという女性の伝統的衣装として仕立てられるスカート、仏教儀式などに壁に掲げられるピダンなどが挙げられます。これらはいずれもカンボジアの生活に深く根ざしてきました。
ポル・ポト政権による文化破壊
 しかしこのような素晴らしい伝統文化も、あらゆる既成の価値観の破壊を試みたポル・ポト政権の標的にされてしまいました。アプサラダンスの踊り子たちは神の使いであるとして虐殺の対象になり、およそ9割の踊り子が殺害されたといいます。

 織物の織り手たちも、伝統文化の担い手として多くが処刑されてしまいました。アプサラダンスも織物も、ともに口承で次世代に技術を語り継いできたものだったので、担い手がいなくなることはそのまま伝統文化の消滅に直結します。事実、200以上あったカンボジア織物のかすり柄は、織り手の虐殺により失われ、現在では50ほどになってしまいました。
豊かなクメール文化を取り戻すために
 内戦終結後、何とかクメール文化を後世に残そうと、伝統文化の再建が試みられています。カンボジア各地で技術伝承のために、わずかに生き残ったアプサラダンスの踊り子やカンボジア織物の織り手たちが、次世代に自らが受け継いできた文化を伝えています。現在こうした努力が徐々に実を結びつつあり、わずかですが若い新たな伝統の継承者たちが増えてきました。SCHECが寄贈した小学校の開校式典で、子どもたちがアプサラダンスを踊ってくれたりするのを見るとそれを実感します。

 確かに、まだまだその数は充分とはいえず、消滅の危機を免れたわけではありません。けれども伝統文化を絶やすまいとするカンボジアの人々の強い思いがあるかぎり、クメール文化はこれからも語り継がれてゆくでしょう。
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